
考え過ぎる自分に気付こう!
あくまで自分なりの結論としては、考え過ぎてしまうから行動できないのではないかと思う。
この記事にしたって、記事の書き方をネットで調べたり何を書こうか悩んだ末に、結局は思ったことを書いている。
調べると余計混乱をきたすのです! 笑
無駄なことはしたくない、損はしたくないなどあるが、そのためにあぁでもないこうでもないとしていると時間ばかり過ぎ去ってしまう。
結果、何もしない自分に愛想を尽かし、やりたいことを腹の奥にしまい込んでくすぶっている感を味わうことになる。
諦めるという選択が取れればいい。
それはそれで断捨離になって、より自分のやりたいことを探したり深めたりしていく力になる。
くすぶってくすぶってやっと記事を書き始めた私としては、そのくすぶり期間によって逆に動き出せたとも言える。
あぁ、面倒くせぇ。もうやめた。ではなく、あぁ、もう考えるのが面倒だ!だったらいっぺんやってやろう!に変わった。
それも、散々くすぶってきたからこそのものだと思う。
そこに気付けたことが何よりだ。
またくすぶりそうな時もあるだろう。その時はきっと前よりもっと短時間で、あっ、俺、またくすぶりっこしてると気付けるだろう。
考え過ぎる自分に気付けたら
まずはふんわり行動を起こしてみよう。
動けば自分にそれが向くのか向かないのかもわる。
向いていなければやめるという選択がとれる。
やってみたいなと思っていたことが、やってみたらそうでもないこともある。
これは行動なしでは知りえないことだ。
行動のメリットは、頭であれこれ考えているだけでは結局わからないことがわかるようになることだ。
例えばヨガをやってみたいと思っているとしよう。
各ヨガ教室の情報を色々調べまくって1年経過。
結果、色々情報はわかったものの、やったことないからヨガが自分に向いてるのか向いてないのかわからない状態が継続している。えぇい、もう、とにかくやってみたるわ!と行動に移したところ、超ハマってインドまで行って生ヨガ学んでヨガ先生になる可能性もある。それとも、あぁでもないこうでもないを続けて結局何もやっていない感に浸るか。
やってない感に浸ることも悪いことじゃない。
私も十分に浸ってきたし、これからも浸るだろう。
ただ、頭のどこかで意識して欲しいのは
今生は有限です!
ということ。
来世、またその来世と考えるのもいいけど、あくまで今生は今生しかない。
やってみたいことをやってみて、あれ?違う!と思ったらやめればいい。いつかやりたいと思ったことがやってみて向いてないと気付けるならラッキーだ。
いつかやってみようと思うことは、結局行動しないと向き不向きすらわからない。
結論。
深く考えてしまう前にやってみよう!
時短のために。
だめならだめで話の種になる 笑。
こうして、いつかいつかと思っていたブログの記事を、今現在書いている私。
向いていないと思った時には、やめればいいいだけだ。