自意識の牢獄

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〜するべき。〜であるべき。

自分で自分を、また他人をもがんじがらめにするこの「べき症候群(勝手に作った造語)」。自分はもちろん、他人にも監視の目を光らせ、「べき」の枠から外れたものに「ダメ人間」のレッテルを貼る。そして他人から自分に対して「ダメ人間」のレッテルを貼られることにヒヤヒヤしてる。

たまには息抜きせんとね。

本当にそうあるべきなのか、本当にそうするべきなのかと自問自答してもいいんじゃない。

そもそもどこから「べき」の考えが来たのか。自分以外の人から教わったことや、自分の経験から得た「べき」があるだろう。自分の経験から得た「べき」は疑うことなく、本人にとっては本当だろう。時間の経験とともにその考えは変わる可能せはあるが、自分以外から教わった「べき」は疑う余地がある。

だって、がんじがらめって窮屈じゃん。

◾︎他人からどう思われているか

アメリカの哲学者、思想家のエマーソンの言葉で

大人は、言わば自意識の牢獄につながれている。

という言葉がある。

他人からどう思われるか、自分の人生を安定したものにするためリスクは避けるなど、自分で自分の言動を制限してしまっているということだ。

確かに気になるよね、他人からどう思われてるかって。
超不潔な人に思われてやしないか、超だらしない人と思われてやしないか、超怠け者と思われてやしないかって、色々あるよね。
でも、気にしすぎると常に気を張ってないといけないから疲れるの。
あーしんどってなるの。結局、どの言葉も自分と他人を比較してるってこと。言葉の中に「あの人と比べて」っていうのがあるのよ。そこには優越感、劣等感というものが入ってくる。

でもよく考えてみて。他人が自分のことをどう思うかなんて、結局想像でしかないのよ。他人の気持ちなど分かるわけがない。でも、想像はできる。それが本当にあってるかどうかは別として。
ということは、結局自分の中の話なんだよね。自分の中で他人の思いを想像して、自分に制限を課してる。下手をすると他人にまで「べき」を強要しちゃったりして、より一層自分に対して「べき」を課すことになる。

◾︎世の中をどう見るかは自分次第

他人との比較自体は悪いことではない。それが自分を高めるものに繋がるなら。ただ、自分を萎縮させるようなことはバッサリ斬り捨てよう。
ダメ人間でもいいじゃん。大切なのは他人と比較して優越感、劣等感を得るのではなく

 

昨日の自分と比較し今日の自分はどうだったか

 

が重要なのではないか。

 

1ミリでも昨日の自分より今日の自分の方がマシだと思えるなら、超成長してる!逆にマイナスったなと思うなら、明日はそのマイナスったところから1ミリでも進めばそれでよし。褒めてつかわすだ。

 

どうせ自分の中をぐるぐるやってる遊びなら、凹むことでなく楽しむ方向で遊ぼうよ。

 

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